あったようななかったような

野良猫。

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茶トラ(ありふれているが、そう命名。あまりそういうことに気持ちを入れるこころのゆとりもやさしさも、時間的なひまもなかった。慈愛に満ちての行為ではないと言うことだったというのがこの名前からもわかる)という性別不明(女の子だと思っているが、はっきりと確認していない。去り際が速いので後ろ姿がよく確認できない)のキジトラが、去年くらいから小さな小さな庭に来るようになった。

去年、一度、植木鉢の受け皿の小さいのにうちの猫が食べ残した(ごめんね)ドライフードをのせてあげたら、ぺろっとたいらげた。

うちの猫は、だいぶドライフード「ずれ」していて、選り好みが激しく、すぐに飽きてしまったりするので、日頃からとてももったいないと困っていた。

そして、あっという間に、一日一回、ドライフードをあげる習慣ができあがった。

 

茶トラには感謝の気持ちでいっぱいで(うちの猫の自堕落な生活の後始末をしてくれるので。が、のちに茶トラ専用のドライフードを購入するはめになっていった)いつもありがとうね、と話しかけていた(このころはかなり純粋な感謝の気持ち。たぶん、お互いにいい人(猫)なんだろうなと感じ合っていたと思う)。

 

家族は、ノラネコにえさをやるのに大反対していて(倫理的な問題)、さらに悪いことに茶トラは、お友達を連れてくるようになった。

 

白地に黒と薄い茶色から濃い茶色までの大きな肉屋の包み紙のような楕円に近い島々が点在する柄の、大きな猫だけど、茶トラよりもずっとずっとおとなしいその子(もうおとな。性別には申し訳ないが興味がない)は、いつも茶トラの後ろに下がっていて、もしも、茶トラが食べ残したりすると、受け皿のえさにありつけるシステムになっていた。

 

そのため、茶トラが食べるよりも「かなり多めに」(満腹以上に茶トラは食べようとがんばるので)受け皿にえさがのる必要があった。

受け皿をふたつにする作戦は、もちろん、茶トラの威嚇攻撃により、ふたつとも茶トラのえさになるのだった。

茶トラをあまりかわいいと思わなくなった(少しかわいいと思い始めていたのだ)。みんなで仲良くしようという気持ちが全然ない。

けれども、ノラ=野生の世界は厳しいので、それは当然なのだった。現にブチ(あとから来るようになった弱気の大きな猫をこう命名)は、首のところに大けががあって、ばっくりと傷口が現れていた。

それに同情して、なんとかしてやりたいと思うこころと、ああ、具合が悪くなっていくのを見たくないなあという残酷なこころと、それから、もしかしたらこの傷は茶トラがやったんじゃないか、それでも茶トラ(強いから)に付き従うのが得策と判断しているのか、そうでないと生きていけないさらなる残酷さが野生なのか、そういうことを考えて憂う日々だった。

 

えさやりは、かなり気が重い作業になってきていて、さらに、家族がそうやって猫がわらわらとやってくるのはよろしくないと前にも増して反対した(一番多い時には、3匹のお友だちを連れてきた)。

 

自分でも、えさをやり始めたことへの後悔が大きくなっていった。断腸の思い(のつもりだったが、もしかしたら重いものを降ろしたくなったのかもしれない)で、きっぱりとえさをあげるのをやめることにした(まったくもって絵に描いたような(字に書いたような)身勝手な行為だという自覚はあった)。

やめるという行為は、何事においてもだけれど、始めるときよりも多くの、そして大きなエネルギーが必要だ(言い訳)

さらに、「〜しないでいる」という「無作為の作為」もまた努力を必要とするので、結果的に「えさをあげるのをやーめた」というひと言の中には、二重三重の悩み苦しみ後悔などが渦巻いているのだった(言い訳)

もうノラ猫はこりごりだ、金輪際かかわらないとこころに決めた。

 

半年が過ぎた。その間、母が亡くなり、いろいろなことに忙しく、茶トラが来ているかどうかもあまり気にしなくなっていた。

 

茶トラは来ていなかったと思う。来ていたら小さな小さな庭のどこかで会っていたろうし、気づいたと思う。

 

半年後、真冬の寒い寒い早朝、ひょっこりと茶トラはいた。

 

何も信じないような強い目つきは、あのころとまったく変わっていなかった。ただ、ちょっとだけお茶目な気持ちが表情に現れていて、

「ちょっとでもなんかくれないかなあ」

とおでこ(猫の場合は額)に書いてあるようだった。

 

母は、えさやりに反対していた。けれども、今度こそは(変な言い方だけれども)、きっぱりと、えさをやることに決めた。

 

あのときにつらくて捨ててしまった受け皿とは別のもっといいやつに、うちの猫のドライフードを心持ち、前より少なめに入れて出した。

離れた場所、茶トラが安心して食べられるような薬草のそば、レモンバームの下に。

 

なんどもなんども、うちの猫その2(家の中で暮らすということ)にならないか茶トラとじっくり話し合った(目つきのみ)のだけれど、決してこころを開いてくれるそぶりはなく、いままでかなり人間に対して、つらい経験があるのだろうと察せられることと、野生生活はそれなりにそれなりで、生まれてからずっとそうだったのだから、無理にイエネコにさせられない(気が強い&短い、すばしっこい動き。とってもじゃないが、家のなかであれだったら大変。うちの猫が生きていけない)ということで、つかず離れず、お互いに干渉し合わない取り決めとなった。

 

慣れてくれなくていい、ただ、いる、元気でいてくれるだけでいい、とそういうふうに心が決まったので、二人とも(一方は猫)離れているけれども安定した関係を築いている。

去勢とか避妊とかはされているようで、なにかあったらいけないので、獣医さんにも相談したりしてみたが、あとは本人の好きなようにさせてあげたい。

 

最近、毛づやがよくなって、相変わらずやせているが、目つきもやさしくなって(家族に言わせるとわたしにのみ)かわいい(そういうのはひとりだけ)顔つきになってきた。

 

以前は、ゴミ集積所の網のカゴのなかに落っこちて暴れていたりした目撃情報があったが、そういうこともなくなった(と思う)。

 

ただ、ひとつ気になることがあって、これは最初のころからなのだが、もしかして、別宅があるのではないかという疑惑だ。

向こうもうちのことを別宅と思っているかもしれない。

というのは、毛づやはともかく、最初から茶トラはわりときれいなのだ。目やにはあるものの、足も汚れていないし、どこかで世話をされているような、なんとなく人の手が入っているような、野生というよりもどこか公園のような。

 

同じ時間に、来ていたらドライフードを用意するのが取り決めなのだが、ときどき来ない、あるいは遅れてくるときがある。

土日は、こないこともある。サラリーマンの浮気のようだ。

どこかに別宅(本宅)がある疑惑は、濃厚だ。

 

 

 

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